STEINS;GATE(シュタインズ・ゲート)無限遠点のアルタイル 第0章
聞こえる――。いつもの声が。
『キミはママを護るんだ。この世界を護るんだ。そのために君は生まれて来たんだよ』
〝その声〟がいったいいつ頃から聞こえはじめたのか、よく覚えてはいない。でも、彼女が迷ったり悩んだり困ったりした時に、声はいつも優しく、そして、力強く彼女を励まし続けてくれていた。
聞き耳を立ててもそれがどこからやってくるのか判然としないし、そもそも、他の人には聞こえていないようだったから、彼女はいつしかそれを神様の声かも知れないと思うようになっていた。
「ん? あ、先生!」
彼女はいつものように頭の中でリフレインしていた声を意識の外へ遠ざけると、腰掛けていた長椅子からポンと立ち上がった。薄暗くガランとした通路の奥から、こちらへ近づいてくる見慣れたシルエットを見つけたからだ。
ここは医療施設といっても特別研究棟の中なので、戦争の負傷者たちで溢れかえる一般病棟とは雰囲気が全く違う。通路の左右に並んでいるドアの上には、いったいどんな研究や検査、あるいは治療を行っているのかさっぱり分からないような難解な漢字や英語の書かれたプレートが掲げられており、どの部屋もシンと静まりかえっていて、中に人がいるのかどうかすら定かではない。
「やぁ、こんにちは」
先生と呼ばれた白衣の老人は、彼女のそばまで来ると、いつものように人懐っこい笑みを顔いっぱいに浮かべる。そして、その手を小さな頭に乗せて、壊れ物を扱うかのように優しく撫でてくれた。
「お昼は食べてきたかい?」
「うん、ホットケーキ。ママが作ってくれたんだよ」
「ほほう? 少しは美味しく焼けるようになったのかな?」
「ママの悪口言ったらダメ。……まだちょっと黒焦げだったけど」
少女が口を尖らせたのを見て、老人は肩を揺らして笑った。そうすると、まるで子供のような表情になる。それがこの人の一番の魅力だった。
と、少女の後ろから、パタパタと小走りな足音が聞こえた。噂をすれば、とでも言おうか――。それは彼女が「ママ」と呼んでいる女性だった。
淡いピンクのナース服に似た制服を身に着けているが、彼女の職業は看護師ではない。ここに併設されている戦災孤児用養護施設の職員で、胸に着けられた名札には“二等養護官 椎名まゆり”とある。
「はぁはぁ……すみません、先生。子供たちをお昼寝させていたら、遅くなってしまって」
「ああ、構いませんよ。今日は397番……あ、いや、かがりちゃんしか予定がないですからね。それより、聞きましたよ? この子を正式な養女に?」
「あ、はい。司法局がようやく許可を――」
「すごいんだよ、先生! ママがね、かがりの本当のママになるんだ。うらやましいでしょ、えへへ!」
かがりにも自分の身の上にとっての最高のニュースはすでに伝わっているようで、嬉しさを隠すことができずに、まゆりの手を取ってピョンピョンと跳ね回った。
「それはとても良いことです。PTSDの治療には家族の愛情が最も効果的だ」
老人は心底嬉しそうに破顔した。それにつられてまゆりもニッコリと笑む。
「それじゃあ、かがりちゃん。ママのためにも、一刻も早く悪い病気をやっつけないとね。――さ、行こう」
老人は、二人をエスコートするようにしながら、通路の最奥の扉へ向けて歩き出した。するとかがりは、せっかくの楽しい気分が一気に冷めてしまい、足取りがどんどん重くなっていくのを感じた。〝あの奥〟はあまり好きではないのだ。
「……ねぇ、先生? まだアレするの? 頭痛くなるからやだなあ」
「もう少しの辛抱だよ。たぶん、あと半年もすれば終わる。それまで我慢できないかな」
「でも……」
「あの……? お医者様からは、もう大丈夫だと言われたんですが」
まゆりが、遠慮がちにそっと口を挟む。
「それは身体的な傷の話です。東京大空襲で子供が受けた心的外傷後ストレスは、大人の比ではありません。……ね、かがりちゃん? まだ怖い夢を見るんだろう?」
「んっ? あー、もう大丈夫! ぜんぜん見なくなったよ!」
「本当かい?」
「うん!」
「ふーむ?」
老人はかがりの目をじっと覗き込む。すると、幼い瞳に動揺の色が走った。慌てて目をそらしてみるものの、もう遅かった。
「ハハ、先生に嘘はいけないなぁ」
「あう……」
「夜中に悪夢にうなされて起きることが、幾度となくありますよね? しかもかなりひどい悪夢だと思われます」
これはまゆりに向かっての質問だ。
「え、ええ……」
「それは、彼女の脳内に空爆の記憶が恐怖として残っている証拠です。きちんと治療しておかなければ、後で取り返しがつかなくなります」
「……」
「治療を続けてよろしいですね、“お母さん”?」
「えっ? ――あ、はい!」
“お母さん”と呼ばれ、まゆりはドキッとなった。まだ言葉も満足にしゃべれない頃に知り合い、それからずっと愛情を注いで来た少女ではあったが――いざそう言われると、自分がこの子の本当の母になるのだと、改めて自覚させられる。
まゆりはかがりの手をそっと握った。かがりもそれをしっかりと握り返してくれる。
「ママのためにも、頑張れるかな、かがりちゃん?」
「……う、うん。分かった、先生」
「よーし、いい子だ」
老人はもう一度、かがりの頭を静かに撫でた。そして、奥の扉を開く。
真っ白でフカフカなリクライニングシートと、シートの横に置かれたヘッドセットのような装置、そしてヘッドセットにつながれた無機質なシステムがそこに待ち受けていた。
※ ※ ※
「うう、うぐっ……っ、ママ……痛い……痛いよ……頭、痛い……」
かがりの耳に、誰かの苦しそうなうめき声が届いてくる。
「や、やだ、怖い……助けて、ママ……痛い……怖い……」
いったい誰だろう?
苦しそうな声を出してママに助けを求めているのは、誰なの?
そんなことを思いながら、ゆっくり目を開く。あたりをぐるりと見回すが、暗闇で何も見えない。
やがて嗅覚が戻ってきて、電子機器特有の無機質な匂いを感じた。人間的なぬくもりや優しさを一切持たない電気の香り。
続いて、ブォォンという不機嫌な羽虫が立てているような低いノイズに気付く。手を伸ばした指先が見えないほどの闇のあちらこちらには、赤や緑の小さなLEDが星のようにまたたいている。
そして、ようやく気が付いた。今のうめき声は自分自身のものだ。どうやら幼少時の夢を見ていたらしい。
「うっく……」
まるで夢の続きででもあるかのように、頭の奥に激痛を感じる。そして、普段は蓋をしている心の奥底から、彼女にとって大切な〝神様〟の声が聞こえてきていた。
『この世界を変えさせちゃいけない。そうしたら優しいママも消えてしまうよ。キミはこの世界とママをずっと護るんだ、いいね?』
(……言われなくたって、絶対に護るよ。そしてママを助けに行くから……)
そう改めて誓うと、頭痛がゆるやかにおさまっていく気がした。
額の汗と涙をぐいっとぬぐう。そして、低くうなりを上げている機械の殻の中、サブシートから操縦席に向かってそっと声をかけた。
「鈴羽、おねーちゃん?」
しかし、かがりを過去へ連れてきた人――橋田鈴羽――からのいらえがない。というよりも、人の気配そのものがない。
「おねーちゃん!」
今度は少し大きな声で呼んでみる。操縦席の足元にちょっとしたカーゴスペースがあって、1975年から入手してきたIBN5100が納められている。そのスペースにもぐりこんで何かをしているのかと思ったからだ。
しかし、結果は同じだった。
気を失っている自分を残して、鈴羽はなんらかのミッションのために出かけたのかもしれない。
「…………」
そう。いまタイムマシンの中には自分しかいないのだ。
しかも、主電源が入ったまま、である。
このコクピットは外界との間に完全な気密性を保っているため、電源を切って生命維持装置を止めてしまうと、酸素濃度などが下がり、人間の生存に適さなくなってしまう。だから鈴羽は、かがりのために電源を切らずに出かけたらしい。
かがりはシートベルトを外すと、手探りでサブシートから立ち上がり、おそるおそる操縦席に移動した。
このマシンは、鈴羽か、もしくはその父の橋田至の生体認証がなければ、起動はおろか乗り込むことすら出来ない。作動しているコックピットに自分が一人でいるという状況は、神様がくれた千載一遇のチャンスのように彼女には思われたのだ。
(ああ、神様……どうか……)
心臓が、胸のどの辺にあるのか分かるくらいドキンドキンと強く鼓動を打ち始める。極度の緊張のせいで喉の奥がヒリヒリしてきたが、ツバを飲み込むことすら出来ない。
(どうか、お願いです……かがりをママの所へ……)
手近で光っている計器に手を伸ばし、スイッチらしきものを片っ端からオンにしてみる。その途端、目前のモニターにパパッと灯がともり、あまりのまぶしさに彼女は手で目を覆った。
やがて光に目が慣れてくると、そこには様々なメッセージが浮かび上がっていた。現在が西暦何年なのかも表示されている。
「19……98年……?」
確かさっきまで1975年にいたはずだから、二十年ほどを移動したことになる。
鈴羽が戻ってくる前になんとかマシンを動かそうと、かがりは悪戦苦闘を始めた。しかし、まだ十歳程度のかがりでは、2036年に座標を合わせて跳躍させることはおろか、そのための重力制御装置すら操作する方法が分からない。
彼女は焦ってガチャガチャと色々なボタンを押したり、タッチ式のパネルに指を走らせてみたりするが、やはり望むような機能を立ち上げることが出来ず、ただいたずらに時を浪費するだけであった。
「あーもうっ! わけ分かんないっ!」
ヒステリーを起こして、バンッと目の前のコンソールを叩いた時、いきなりあたりがまばゆい光に包まれた。
「きゃうっ!?」
さきほどモニターに灯が入った時とは比べものにならないくらいのまぶしさに、かがりは思わず顔をそむけた。そして次の瞬間、背筋が凍った。
「……お前。何をしてるんだ?」
ぞくっとするほど冷たい声を、頭上から浴びせかけられたからだ。
無意味な事と知りつつ、かがりはシートの中で小さく身を丸める。
「何をしてるんだ、かがり?」
「ち、ち、違うのっ……これは、そのっ……」
「答えろ」
マシンのコックピットのドアを開け、陽光を背にかがりを睨みつけているのは、言うまでもなく橋田鈴羽――2036年から任務を帯びてやってきているタイムトラベラーだった。
かがりは、あえて抑揚を抑えたその口調に恐れをなしつつ、もしもの時のために考えていたいいわけを言いつのる。
「だ、だ、だって! だってっ! 目を覚ましたら、鈴羽おねーちゃんがいなくてっ、真っ暗で明かりもつかないし、狭くて怖くて苦しくてっ! だから、かがり、ドアを開けたくて……!」
「……」
「それで、あちこちいじってるうちに……こんなことにっ」
演技ではなく、本当にポロポロと涙が出て来た。
それは自らのあまりの無力さゆえにだった。自分がもっともっと大人で、色々な事が出来るようになっていたら、こんなマシン、すぐにでも動かしてママを助けにいけるのに――なのに、そんなことすら出来ないおのれに対する怒りから、悔し涙がとめどなく流れ落ちた。
むろんそんな本心を口にするわけにはいかず、むせび泣きながら出る言葉は偽りの塊だけである。
「ごめんなさい鈴羽おねーちゃん、ごめんなさい。でも、本当に怖かったんだ、だから……」
「……そうか」
鈴羽は、かがりの上に置いていた険しい視線をようやく少し緩めた。
そういえばこの子は、まだ幼少時のPTSDが完治していないと聞いている。『暗所や閉所を極端に怖がって困る』と、未来のまゆりが心配していたことを思い出した。
(なら、多少のパニックを起こしても仕方ない、か……)
「……あの? おねーちゃん……?」
「あんたは時間移動のショックで気を失ってたんだよ。だから休ませておいたんだけど……悪かったね」
その声はまだ不機嫌さを消し去るに至っていなかったが、とはいえ、どうやらかがりの偽りの言葉は効力を発揮したらしい。鈴羽は少女の小さな手を引いて操縦席から立ち上がらせると、そのままマシンの外へ連れ出してやった。
1975年よりもさらに強烈な、ムウッとした熱気と強い太陽光がかがりの肌を焼いた。さっきは日時まで確認する余裕はなかったが、どうやら夏の盛りの午後らしい。
「今回はあたしのミスだ。けどね、かがり? あんたも約束して。どんなことがあっても、操縦席のスイッチに触ったりしないこと。いい?」
「う、うん……」
「じゃあ、あたしは仕事にかかるから。あんたはその辺で休んでて。――飲み物と食べ物は適当に」
鈴羽はそう言うと、背負っていたリュックの中から、袋詰めの菓子パンとペットボトルの飲み物を出してかがりに放った。かがりはそれを受け取ったが、食欲などは全くわかず、パンの袋を彩っている可愛い猫のキャラクターを眺めただけだった。
一方、鈴羽はリュックを操縦席に置くと足元のカーゴスペースに頭を突っ込み、ポケットから取り出した携帯端末とIBN5100とをケーブルで接続する。
携帯端末は、この時代の誰かに見られても不審がられないよう、20世紀末から21世紀初頭のいささか旧式な携帯電話を模したものであるが――中身は2036年の小型量子コンピューターで、もちろん未来のダルによるハンドメイドである。
IBN5100を起動させると、途端に、携帯端末型PCの画面上にパラパラと数字が羅列され始める。
それを見て満足そうに頷いた鈴羽は、かなりお行儀の悪い格好で、マシンの床にどかっとあぐらをかいた。
「なにをするの?」
マシンの外から、かがりはそれをのぞき込んだ。作業に集中し始めた鈴羽は、半ば上の空で返事をする。
「〝2000年問題〟は勉強した?」
「施設の学校でちょっとだけ。結局、なんにも起こらなかったんでしょう?」
「表向きはね」
「……?」
「国家機密で公表されてないけど、実は〝2000年問題〟はいくつかの地域や国に深刻な事象と対立を引き起こしたんだ」
「そう、なの?」
「ああ。問題だったのは、このIBN5100というコンピューターでね。これには古いプログラム言語が搭載されてるんだけど、そのプログラムの問題点を技術者たちが修正出来なかったんだ。……というより、そんな言語で書かれた重大なプログラムが存在すること自体、全く知られていなかった、と言った方がいいかな」
鈴羽は、IBN5100と数字のやり取りをしている携帯端末型PCの、脇のボタンを押した。そのような細かい部分までが旧式の携帯電話に模されており、なんとも言えない押し心地の悪さに一瞬だけ辟易する。
メイン液晶の下にサブ画面のようなものが浮かび上がり、その小さな画面上で何回もエラー表示が出たり消えたり――を始める。
彼女はそれを見ながら、
「あたしたちの世界線で起こった第三次世界大戦は、もちろんタイムマシンの開発競争が発端なんだけど、実際には〝2000年問題〟で発生した対立が火に油を注ぐ結果になったんじゃないかって――そのせいで核兵器まで投入される最悪の世界戦争にまで広がったんじゃないかって――父さんたちは推察したんだ。そしてね、〝2000年問題〟が、あらゆる世界線の『因果』に強い影響力を持ってるんじゃないか、とも考えた」
鈴羽はあくまでも作業に熱中していたため、十歳の少女に分かりやすいよう噛み砕いて教えるようなことはしなかった。なので、かがりにはほとんど理解ができない。
ただ、〝2000年問題〟が、実は自分が思っていた以上に大変な事件らしいということだけは察することが出来た。
「しかも、西暦2000年というのは特殊な年でね。全ての世界線が、一旦、ひとつに収束してしまうんだ。理由は分からないけど、とにかく西暦2000年に起こった事件は、ありとあらゆる“世界線収束の範囲”で無視できない結果を引き起こす可能性がある。……それはたぶん、あたしたちが目指してる“狭間の世界線”――シュタインズゲートであってもね。父さんはそれをずっと心配してた」
「…………」
「だから、父さんはこうして〝修正プログラム〟を作ったんだ。今、IBN5100用の言語に変換してる。これをウイルスの形で全世界に拡散させれば、この時代のエンジニアたちが見落としてしまう〝2000年問題〟は、完全に解消されるハズ――」
その時、携帯端末型PCのサブ画面に〝CONNECT〟の文字が浮かび上がった。
「OK。つながった」
この時代、日本では未だADSL回線すらテスト運用の段階で、一般ユーザーのネット環境といえばISDN等を用いた低帯域のダイヤルアップ接続が主流だ。
が、ここ秋葉原周辺を始め、大都市部ではすでに大学や研究所、あるいはPC関連企業が常時接続の光ブロードバンド回線を備えており、中には無線LANを使用している施設さえあった。鈴羽はその一つに侵入したらしい。
2036年の技術をもってすれば、二十世紀末のネットワークセキュリティなどザルみたいなもんだと未来のダルは笑っていたが、確かにその通りだった。
「――まぁ、今の話って全部父さんの仮説なんだけどね。あたしは信じてる」
「で、でも……それじゃあ……かがりたちがいた未来の世界も……ぜんぜん変わっちゃうんじゃないの……?」
かがりは不安げに尋ねた。自分が密かに恐れていることが、思っていたよりもずっと早く現実のものとして襲いかかってこようとしている……そんな予感がした。
そして――果たして。
鈴羽の答えは、彼女を絶望させた。
「もちろん。……というより、もうあの世界は存在させない。あたしたちは、シュタインズゲートを目指すために過去へ来たんだから」
――『ダメだ! そんなのは間違ってる!』
かがりの中で、ひときわ大きな〝神様〟の声が聞こえた。
『あの世界がなくなったら、キミはきっとまゆりママと出会えなくなってしまう! それでもいいのか!?』
「だ、だめだよ。よくないよ……」
かがりの口からポツリと小さな声が漏れた。
「ん?」
PCの画面表示を夢中になって見ていた鈴羽は、その声に顔を上げる。
「何?」
「……ダメなんだよ、鈴羽おねーちゃん。そんなことしちゃ、いけないんだ」
「おい?」
鈴羽の眉根が不審そうに寄り、彼女が中腰になった、その瞬間――だった。
いきなりかがりの身体が動いた。
子供の動作とは思えないほど鋭く――訓練を受けている鈴羽が虚をつかれるほどの素早さでその腹部に肩から体当たりをした。
中腰という最も脆い姿勢でそれを食らった鈴羽は、鍛え上げた腹筋ですらガードし切れず「ぐっ」と身を折り、そのままサブシートに倒れこむ。
かがりは、鈴羽の手から携帯端末型PCを強引にもぎ取った。IBN5100につながっていたケーブルがブツリと引き抜かれ、両機の画面にエラー表示が出る。
「おっ、お前ッ、何をッ――!?」
腹部を痛打された苦しさに咳き込みながら上げた鈴羽の目には、信じられないものを見るような色が浮かんでいた。
しかし、それとは対照的にかがりの眼差しは決然となって、操縦席に置かれているリュックにバッと腕を伸ばした。
「やめろっ!」
意図を察した鈴羽は、嘔吐感と痛みを頭の端に追いやりつつ、かがりの身体に飛びついた。
だが、しかし――これがわずか十歳の子供の力だろうか?
(こ、こいつ!? いったい!?)
信じられないほどの力で再び体を当てられ、鈴羽はサブシートにもんどりうって倒れた。その額に向け、ピタリと冷たいものが押しつけられる。
「動いちゃだめっ!」
思った通り、かがりは鈴羽のリュックの中から自動拳銃を抜き出していた。手馴れた兵士のように安全装置もきちんとはずし、それを手にこちらを睥睨している。そういえば、この銃の扱いを教えたのは皮肉にも鈴羽自身だった。
「かがりっ、正気か!? やめろっ」
「やめるのはおねーちゃんの方だよ!」
「なに?」
「世界を変えちゃいけないんだ! おねーちゃんはおかしいコト言ってる!」
よくよく観察すれば、銃を構えるかがりの腕はかすかに震えている。母親への愛情にこそ及ばないものの、実の姉のように慕う鈴羽のことだって大好きなのだから。
しかし、かがりの瞳には逡巡はなかった。そこにあるのは、あくまでもひたむきな決意だけである。
「じゃあ、このまま戦争が起きてもいいって言うのか?」
「そんなことよく分からないよっ。かがりは元の世界に戻りたいだけだもんっ」
「なら……もう、無理だ。あたしたちはタイムマシンですでに過去に干渉してる。世界線だってズレてしまってるはずだ。あそこに戻れる可能性は低――」
「うるさいうるさいうるさい! かがりはママを絶対に助けるんだぁぁっ!」
鈴羽の説得を遮って、かがりは叫んでいた。
――『そうだ、キミは正しい! さぁ、これから世界もママも護ろう! 勇気を出して!』
頭の中で、神様がずっと応援してくれていた。だからかがりは、神託を得たかのようにさらに絶叫する。
「この世界を消すなんてダメだよっ! 絶対にやらせないからっ!」
そして、銃口をIBN5100に向け直すと、鈴羽が止める間もなく無造作に引き金を引いた。何回も何回も引いた。
貴重なPCの部品が、まるで肉と骨と血のように弾け飛んでいく。
「やっ!? やめろぉっ! やめてくれ、かがりっ! やめろぉぉっ!」
鈴羽のこんな悲痛な声を聞いたのは、かがりにとってはたぶん初めてのことだった。
しかし、それでも――かがりは引き金を引く指を緩めることはなかった。